2011年06月12日

これからのこと(1)

 お久しぶりです。ショコラです。ちょっと前に僕、30歳になったんです。30歳といえばもうりっぱな大人ですね。僕が小さい頃に漠然と想像していた30歳の成人男子といえばチョビ髭に咥えタバコで、可愛い子猫を膝に抱えながら可愛い子供たちに、ちゃんと勉強するんだぞ〜とかぼんやり小言をゆったりする、ゆるふわなイメージだったんだけど現実に30歳を迎えた僕が最近やったことは、買い物に行った時に何気なく入ったぬいぐるみ屋さんで、今までみたことがないレベルの輝きを強烈に放った異常な可愛いさのぬいぐるみをみつけてしまって、これ買ってもいい?ってハニーに相談したところ、買ってもあなたはすぐに飽きるから絶対に駄目だし何歳だと思っているの?みたいな正論を言われて、渋々引き下がったあげくに、やっぱりどうしても欲しくなったので、その三日後くらいに一人で買いに行ったりしてました。ちなみにそのぬいぐるみやさんは、小さな子供がその場で機械でお腹に綿をつめて(綿の量も自分好みに微調整できる)、名前をつけて、最後にハート型の形をしたものを自分の手のひらの上に置いて、ふ〜って息を吹きかけて命を吹き込んでから、ぬいぐるみのお腹に自分の手でそのハートを入れるみたいな儀式を一通りディズニーランドのお姉さんみたいなテンションのお姉さんと一緒に行わなければならない、という 30歳の成人男子には大変難易度が高いハードルを超えなければいけませんでした。流石の僕でもちょっとキツかったので最初に、親戚の子供にあげるものだから、みたいなことをゆってその儀式を少し省略して欲しいみたいな雰囲気を匂わせてたんだけど、ぬいぐるみやさんのお姉さんは鬼教官のような感じで、お名前は何にしますか〜?チーキーちゃんです。それではチーキーちゃんに命を吹き込んであげてくださ〜い♩ふ〜〜。みたいなやり取りを正規の手順で全て行うことになりました。そんなこんなで産みの苦しみを大変に伴ったチーキーは、本当に可愛く、僕を大変癒してくれています。

 そんな感じで平穏にチーキーと一緒に暮らしている時に、あの3月11日の東日本大震災が起きました。最初の地震の時僕は、とある大きなメーカーの情報システム部門の人たちと一人で打ち合わせをするために、向かっている途中でした。僕のお仕事は企業インフラである基幹ネットワークを会社単位で数社担当していて、いろんな業種の関連会社のネットワークをもっと統合して一元管理できるようにプライベートな一つの大きなクラウドの中に取り込んでいくために、論理的にグループ会社単位で独自に構築されてしまっているネットワークをどうやって統合していくか、みたいなことを考えたり、計画したり、作ったりして、国内外複数の通信キャリアのサービスを組み合わせて作ったインターネットとは論理的に分離された閉じたインターネットを統合管理している部署のひとです。皮肉なことに、そのときの打ち合わせはその会社が抱える国内、海外にある複数の工場が繋がっているネットワークを、重要なシステムやサーバー群のある生産拠点が大きな自然災害などで被災した場合に、もう少しリスク分散できるようにネットワーク構成を大きく変更しましょう、というもので、3.11前と後では、言葉の重みも意味も全く変わってしまったBusiness Continuity Plan 策定の一環でした。そして偶然にもその会社は福島と茨城に大きな工場を持っていました。もうひとつ、大きな偶然として、僕の両親は父親が定年退職を迎えたタイミングで田舎暮しをするために今、田舎のわけのわからない場所に住んでる、というお話は以前したと思うのだけど、ミラクルなことに場所は宮城県の石巻市でした。

 都内のターミナル駅で降りて打ち合わせ場所に向かうためにバスに乗ろうとしているときに、今まで生きてきて経験のないくらいに長い時間大きく揺れて、どうしていいのかわからず某然と今にも倒れそうな高層ビルをぼーっと眺めていました。その間、見知らぬおばちゃんにずっとスーツの袖を握られてました。揺れが収まって、ん?っておばちゃんの顔をみると今にも泣き出しそうな小さな女の子みたいな顔をしていたので、ビル倒れなかったから大丈夫ですよ、とよくわからない励ましなのかなんだかわからないことをゆって、状況が全く飲み込めないまま僕は、打ち合わせに遅刻しちゃう!と思って、バスに乗って打ち合わせ場所に向かいました。その時既に都内の私鉄やJRは全線運休になっていることも知りませんでした。打ち合わせの場所に着くと、当然だけれどその会社のひとたちはみんな避難してビルから全員出て広場みたいところに集まっていました。なんとか打ち合わせ予定だったひとたちに会えて、打ち合わせはとりあえず中止だね、と笑いながら、震源地は宮城県のほうみたいだけどショコラさん実家どこだっけ?みたいなことを言われて、一瞬頭が真っ白になりました。地震が起きてからピクリとも電波が繋がらなかったiPhoneを地面に叩きつけたくなる衝動を抑えながら、こういう時に電話は繋がらなくなる仕組みも知っていたはずなのに、200回くらい両親に電話をしました。そして一度も繋がりませんでした。そのあと、交通網が完全に麻痺してしまった都内を帰宅難民者の一人として、2 時間半くらいかけて自宅目指して歩いて帰りました。帰宅してから、僕の頭の中と同じくらい錯綜してまともに情報を掴めずにもがき苦しんでいるTV放送を死んだ目で眺めながら、無意識に、繋がらない電話を夜中まで両親の携帯電話にかけ続けました。二百何十回目だか分からないけれど、世の中不思議なことも起きるものです。夜中の12時過ぎ頃、母親に電話が繋がりました。そこではじめて、両親も犬も無事であることを確認できました。電気、ガス、水道は全て止まっている、屋根が一部壊れた、車のガラスが激しく割れたけどなんとか乗れるしガソリンはある、津波の被害は奇跡的に免れて浸水はしなかった、食料と水と灯油は一週間くらいならなんとかなる、という情報を1分くらいで聞き出して携帯電話はライフラインになるから使わない時は電源を切っておくようにしなさい、明日から毎日夜7〜8時を安否確認の時間にするからね、とゆって電話をすぐに切りました。頭が錯綜していた割には、電話が繋がった瞬間に全神経が研ぎ澄まされてすごく冷静だった自分に少しびっくりしつつ、電話を切ったあと、ずっと高ぶっていた緊張の糸が切れて、涙が溢れて止まらなくなりました。世界は基本的に残酷なものであることは知っていたけれど、涙でぼやけた被災地のTV映像を眺めていたら、30歳の男子がしくしく泣いてばかりもいられないね、きみも、ぼくも、このヘンテコな世界でこれからやっていくわけなんだから、とチーキーに、もそもそと話しかけてからその日は眠りました。(続く)

投稿者 shocola : 2011年06月12日 23:19
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チェブの存在は知っているのなら絶対観た方がいいとおもうよ

あの日本のムーミンアニメとは別物で、素敵だなぁと思います。

クルテクはチェコの子供たちの永遠のアイドルです。

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